カンボジア教育支援基金(CEAF)

カンボジア教育支援基金(CEAF)

コン・ボーン

CEAFは、1993年3月10日コン・ボーン(カンボジア人)により横浜市にて設立。

設立後まもなく、二十数年戦争で苦しんできた多くの日本在住カンボジア人が教育再建のために、と資金を援助。

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1998年、CEAFはカンボジアで教育機関を設立するために、プレイベン州プレアスダッチ郡アンコールリッチ地区リング村で、カンボジア教育・青少年・スポーツ省と協定を締結。2001年には、CEAFと日本のNPOフロム佐賀は、カンボジアの外務省と覚書を交わす。

4つの学校の建設、そして、5つ目の学校は、日本大使館(O.D.A)、カンボジア人、日本人の方々、日本のNPOなどの援助により建てられた。

私がCEAFを作ろうと思った大きな要因は、1991年プレアッスダッチ郡で見た小学校でした。彼らの学校は、壁がなく、屋根もなく、机とイスは10個のみ、地べたで授業をしているのです。私は子ども達がこの何もない学校にいることを直視できない、という思いとなり、大きな決断をくだしました。

しかし、このような活動は妻に多くの不安をもたらせるものでした。

CEAF立ち上げのために、私は数ヶ月をかけて妻に事情を説明し、説得を試みました。妻は、「お金がないとき、あなたは誰からも借りようとしない。そうかといって、お金があるときは誰かに貸して、返そうとしない人には、憎まれたくないから何も言わない。組織を作って学校を作り、経済的に困っている子ども達を学校にいかせるには膨大なお金がいるのに、あなたは人にお金を援助してもらうことを頼めるのか」と私を問い詰めました。私は、「お金を援助してもらえるようにしていく、子ども達には、自分の幼いころのようにはなってほしくない」と答えました。私の家は貧しく、私は二十歳前にプノンペンに出てきて、川沿いで荷物運びをしていたのです。そのころは、半袖にクロマー(スカーフ)しかないといういでたちでした。

その後の仕事では死にそうにもなりました。1963年、CIAの人間だと疑われ9日間投獄され、また、内戦が始まって一年頃の1971年にはベトコン、クメールルージュ、北ベトナム軍に捕まり、23日間投獄されました。

また、1975年には、コンポンチャム州パー村にてクメールルージュに殺されそうになりましたが、すんでのところで逃げ出しました。

また、UPIや共同通信で働いていたとして、売国奴の罪で6ヶ月間投獄されました。私を殺そうとする人に、「なぜ私を殺そうとするのか、私はジャーナリストであって、軍人ではない。」と問うと、彼は、「軍人など怖れない、新聞こそ1つの記事で1億人を殺すことができる。」といいました。

現在、カンボジアには戦争はありません。国の繁栄のためにお互い助けあわなければならないという時です。

日本のNPOとカンボジアのCEAFは、プレイベン州プレアスダッチ郡アンコールリッチ地区リング村に3.75haの土地を買い、カンボジア-日本友好学園中学校を建てることに決めました。カンボジア教育・青少年・スポーツ省の協力を得て、公立校であるが、運営組織があり、環境がよく、授業も1日中行い、授業料のいらない学校、というモデル校として発足することになり、今では生徒は毎年卒業試験でよい成績を収めています。

2002年、カンボジア-日本友好学園は中高一貫校となりました。20クラスですが生徒は毎年増えています。今では中学に入るために800人もの応募があり入学試験を行わなければなりません。プレアッスダッチ郡、ペアムチョア郡の生徒たちはまずこの学校を受け、この学校に受からなかったら普通の学校で学びます。

両親や保護者がこの学校を選ぶ理由は、管理のよさ、教師が無欠席であること、良い規律、良い道徳、卒業したら奨学金があること、将来的には、貧しい彼らにとっては自力ではいけない医学部などへの道が開けるということです。

田舎の人たちは子どもが小学校を卒業したら、共同通信のアシスタントであった者(私)と日本のNPOフロム佐賀が作った、この、大きな教室を持ち、環境がよく、花に囲まれた学校の試験を受けさせます。

この学校が他の学校と違うのは、中学校の教師は給料が69ドル、高校は75ドル、管理職87ドル、理事長116ドル、が国からでる給料にプラスして支払われていることです。また、優秀な卒業生には奨学金などがあります。

日本語の授業という点では、1999年以降、国として初めて教える学校でもあります。

卒業生で日本語ができるものは1000ドルの給料をもらっています。

学校で日本語を勉強した8-10%は、日系企業で働いています。

親たちは卒業生を誇りに思っています。日本の学校のように学び、厳しく教えられ、先生はレベルが高く、教育熱心な先生が集まっており、支援者と同じ視野をもっています。

この学校が他校と違うのは授業の時間数です。カンボジアの学校は午前の部、午後の部と一日2回に分けられ授業をしますが、この学校は1日授業があり、また、課外授業などもあり様々な知識を学ぶことができます。その結果、優秀な成績で合格できます。

2014年、高校卒業試験でカンボジア全土では25.8%の合格率でしたが、我が校では第1回目が50%、2回目が16%でした。つまり、学校のレベルが高く、優秀です。

経済発展している日本についてもっと学ぶために、毎年学校の方で先生と生徒を選んで活動しています。CEAFと学校は、徳島県のおから工房と技術協定を結びました。JICAのプロジェクトのもと、生徒による商品開発を行い、利益を生む仕組みを学び、利益で学校の補助をしようというものです。そういう意味でもこの学校はカンボジアで唯一のモデル校としてなりたっています。

開校から11年間の卒業生は、836名(うち、女子生徒277名)で、日本から支援の奨学生は2005年から20015年の間に264名(うち女子生徒97名)で、プノンペンなどの大学で勉強しています。現在、役所で働く人もいます。

5人の優秀な学生がいます。その一人タイテプさんは、数学がトップで日本政府から奨学金を得て、日本で3年間コンピューターの勉強をしています。成績がよければ追加で大学に4年間通うこともできます。

1999年以来、4271名(1800名女性)が学んでおり、うち、1452(720)名が今現在学校でで学んでいます。

現在の生徒は、一般科目、および日本語と英語を勉強しています。

CEAFは、学校建設、運営、そして、貧しいカンボジアの子ども達のために奨学金制度をもうけ、また、教師にも高いレベルの教育を行えるよう給料補助も行うという活動を20年間行ってきています。

 

 

 

 

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